当光雲寺は南朝の忠臣越智氏の菩提寺であり、その創建は、南北朝初期の貞和二年(1346)越智伊与守入道宗林が、自家の菩提所として建立し、爾来六百有余年の歴史を持つ由緒深い名刹寺院である。
また、この杉の大木は、光雲寺の幾星霜を見守り、昔から近隣の人々の信仰を集め、樹齢千年に近い神木の杉である。
さらにこの杉の木は、根本にあった瑠璃の井戸と共に幾多の伝説を残し、天正年間(天正十年頃といわれている)織田信長の命を受けた筒井順慶に攻められた鳥屋陣羽守の息子二人が、追手を逃れ杉の木に登り難を逃れた。その時二人の息子が、四十ニオと二十五オの厄年であったことから、厄除の杉と呼ばれ、明日香にある岡寺の星祭りには、この杉の枝を持ち帰り厄払いの行事に使われ今日に至っている。また当光雲寺においても、毎年二月十一日、薬師堂において、厄除の法要を厳修している。